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2019年1月10日 放送
脱下請けで生き残った町工場!魔法のフライパン感動物語

- 錦見鋳造 社長 錦見 泰郎(にしきみ やすお)
いま鉄鋳物で作られた「フライパン」が主婦を熱狂させている。その名も"魔法のフライパン"最大の特徴は、他のフライパンに比べ、熱伝導率が驚くほど高い点にある。この効果により、食材の表面を短時間で焼くことができ、食材のうまみも逃がさないという。例えば、素人が作ると、ご飯がベチャっとなりやすい、チャーハンも...専門店のようなパラパラに!チキンソテーは、プロ顔負けのパリパリ食感に仕上がるのだ!しかも、驚くほどジューシーに焼きあがるという。実は、普通の主婦を"料理上手"に変える、魔法のフライパンを生み出したのは...三重の小さな町工場。しかも、倒産の危機に晒された自動車部品の下請け町工場だという。なぜ、地方の弱小・町工場が、大手も思いつかないヒット商品を生み出すことができたのか?下請け脱却を目指し、挑戦し続けてきた町工場・2代目の逆転劇に迫る!
社長の金言
- 利用者が 喜ぶ顔を 想像すれば続けられるTweet
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RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
驚き連発!魔法のフライパンとは…
主婦の間で大注目を集める魔法のフライパン。実は、すき焼き鍋などに使われる“鉄の鋳物”で作ったもの。重くて調理器具には不向きだと言われてきた鋳物で作られる「魔法のフライパン」だが、その重さは、一般的なアルミ製のフライパンと変わらない980グラムしかないという。これを実現したのが、業界の常識を打ち破った“薄さ”にある。「鋳物の調理器具の薄さは5ミリが限界」と言われる中で1.5ミリという薄さを実現させている。この圧倒的な差別化で「魔法のフライパン」は、累計22万個を売る異例の大ヒットを実現したのだ。創業以来、自動車部品などの下請けをしてきた調理器具とは全く無縁の町工場が、なぜ前代未聞の調理器具を作りあげたのか?驚き連発の技術力を徹底取材した!
「君の代わりはいくらでもいる!」の言葉に下請け脱却を決意
1960年に町工場の長男として生まれた錦見。大学進学に失敗して、父の経営する町工場に、しぶしぶ入社した。当時の錦見鋳造は、自動車部品の下請けを担う小さな町工場。培ってきた鋳物の技術を武器に、40社近い企業から発注を請ける下請けとして順調に成長を遂げてきた。しかし、バブル経済の崩壊で仕事は、みるみる激減。さらに、追い打ちをかけるように、売り上げの6割を占める発注会社が、一方的な値下げを要請してきたという。当時、専務になっていた錦見は、発注会社の無謀な値下げ要求に抗おうと、直接交渉を試みたが、その取引先から帰ってきた言葉は「嫌ならやらなくていい、おたくの代わりはいくらでもいる。」という信じられない言葉だった。地方の弱小町工場が挑んだ“脱下請け”戦略!その苦難に満ちた逆転劇の全貌に迫る!
フライパン自動鋳造機に挑戦!
魔法のフライパンで倒産の危機から息を吹き返した錦見は、今も挑戦し続けている。それが10年越しで開発を続けているフライパンの自動鋳造機だ。この機械が完成すれば、手作りでしか作れなかった魔法のフライパンの生産量が、一気に3倍に増えるという。アメリカ、中国、ヨーロッパなどの海外への進出を目論む錦見の新たな挑戦を追った!
ゲストプロフィール
錦見 泰郎
- 1960年愛知県名古屋市生まれ
- 1978年地元の高校卒業後、大学受験に3回失敗
- 1981年錦見鋳造 入社
- 1992年親会社から値下げ通告
薄い鋳物のフライパン開発に着手 - 2000年代表取締役社長に就任
- 2001年魔法のフライパン 誕生
企業プロフィール
- 創 業:1960年
- 本 社:三重県桑名郡木曽岬町大字栄262番地
- 売上高:2億4千万円(2018年8月決算)
- 従業員数:11人
- 事業内容:フライパン、北京鍋、製造販売

熔けた鉄はエネルギーの塊で、気持ちが高揚する。鋳造は、人類の一大発明であり、鉄器は、歴史を変えた。バブル崩壊後、値下げ通告を繰り返すメーカーの「いやならいい、代わりはいくらでもいる」という台詞が錦見さんを奮い立たせた。「絶対に代わりがないものを」と、極薄のフライパンに挑戦した。長い道のりだったが、「鋳型に流し込む鉄のストレス」に気づくことで、魔法のフライパンが完成した。「鉄のストレス」に気づく人がいるだろうか。魔法は偶然には生じない。誰も気づかないことに気づく、それが魔法の本質だ。