バックナンバー
2019年8月22日 放送
餃子ブーム!陰で支える町工場の「餃子革命」

- 東亜工業 社長 請井 正(うけい ただし)
いまだ衰えぬ餃子ブーム。"餃子の街"として知られる宇都宮vs浜松の戦いも熱い。そんな餃子ブームを陰で支える企業があった。その名は東亜工業。餃子製造機一筋40年の小さな町工場だ。1時間に1500個の餃子を包む製造機「餃子革命」は餃子の名店やラーメン店で、その名の通り革命を起こしていた。さらに日本食ブームの波に乗り、海外にも進出している。
-
RYU’S EYE
座右の銘
放送内容詳細
餃子ブーム支えるすごいマシン
栃木県宇都宮は言わずと知れた“餃子の街”。人気餃子店の厨房では見慣れぬ機械が次々に餃子を包んでいる。その機械の名は「餃子革命」。製造しているのは、東亜工業という浜松にある小さな町工場だ。この餃子マシン、やはり“餃子の街”である浜松の餃子店でも大活躍、ラーメン店や冷凍食品会社などでも使われているという。1時間に1500個を包めるのだが、店によって餃子の皮の大きさや厚さが違うため、すべてオーダーメイド、特に餃子を包む部分は精密さが求められ手作業で加工されている。有名な居酒屋チェーンもこの機械を導入し“餃子居酒屋”を展開、これが当たりチェーンの拡大を図っていた。
意外な技術で生まれた餃子製造機
餃子マシンは意外なきっかけで生まれた。東亜工業は1963年に請井正社長の父・由夫が創業、当初は自動車の部品などを下請けで作っていた。ある日、ラーメン店で黙々と餃子を包む店主の姿を見て「餃子を自動で包む機械があれば喜んでもらえる」と考える。そして、オートバイのマフラーを加工する技術を応用して、餃子製造機の開発に成功する。しかし、小さな町工場で職人気質のため、営業が上手くなかった。さらにリーマンショックが起こり、危機的な状況に陥る。そんなどん底から脱出するために2010年、現社長の請井正がつくったのが「浜太郎」というアンテナショップだ。そこでオリジナルの創作餃子を提供し、餃子製造機の魅力も伝えたのだ。この戦略は大成功、「浜太郎」の開店後、会社の売り上げは毎年10%以上アップを続けている。
ゲストプロフィール
請井 正
- 1967年静岡県浜松市生まれ
- 1993年和食レストランで修行していたが、父由夫の意向で東亜入社
- 2007年創業者由夫が他界
代表取締役 就任
企業プロフィール
- 本 社:静岡県浜松市北区三方原町
- 創 業:1963年
- 売上高:約10億円
- 従業員数:43名

餃子は、よく見ると不思議な形、大きさだと思う。そしてどこか謙虚な佇まいがある。偉そうに自己主張したりしない。東亜工業の餃子包み機は、興味深い経緯で誕生した。先代は自動車部品など、金型技術の達人で、マフラーが作れるのだから餃子もいけるだろうと開発をはじめた。その後、もともと調理人に憧れ、店を開きたいと考えていた請井氏が、営業で苦労し、アンテナショップを開業して、少しずつ成功をつかみ、今に至る。人間ドラマに彩られた東亜工業だが、主役は餃子だ。餃子は、飽きない。たぶんこんな食品は他にない。