バックナンバー
2023年2月16日 放送
究極のせんべい作りに挑む
新潟発 執念のモノづくり

- 岩塚製菓 社長 槇 春夫(まき はるお)
日本の伝統菓子せんべいに異変が。ここ最近、物価高騰の影響で米菓業界ではコスト削減の動きが著しく、原材料も輸入米の比率が高くなっている。そんな中、国産米100%にこだわり続ける米菓メーカーがある。「愚直に真面目に」をコツコツと続け、長年の固定ファンの心を掴んできた新潟の岩塚製菓だ。近年「米菓離れ」が叫ばれる中、日本の伝統菓子・米菓を守るため日々研究をし、客を喜ばせるために邁進し続けるお煎餅集団のこだわりの戦略に迫る!
放送内容詳細
国産米100%使用!米菓メーカーの執念のモノづくり
米所の新潟県に他とは一線を画す米菓メーカーがある。亀田製菓、三幸製菓に次ぐ業界3位の岩塚製菓。3位といえど他社が絶対にマネできない商品を作り続けている会社だ。とにかく原材料にこだわる岩塚製菓は大手メーカーで唯一の国産米100%を使用、大豆も北海道十勝のある地域でしか採れない貴重なものを使っている。原料だけでなく製造方法にもこだわりが。他社ではコスト削減のため米粉を業者から納入して加工に入っていくが、岩塚製菓では自社製粉を使い、それぞれの商品に一番合った米粉を作っている。良いモノづくりをこだわり続けるがゆえ、時には利益を圧迫することもあるが、岩塚製菓は、創業者の「原料よりも美味しいものなどできない」という教えを守り続け、儲けを追わずにコツコツと商品作りに邁進。そんなこだわりを知ってもらおうと、東京・銀座には贈答用のちょっと高級なお煎餅を扱う店「瑞花」がある。ほとんどの商品が手作業で作られ、多くのファンが店を訪れてくる。毎年大雪に見舞われながらも、究極のせんべい作りに果敢に挑む、岩塚製菓の執念のモノづくりに密着!
人のために尽くす地域の優しいお煎餅会社
新潟県にある岩塚製菓の工場の前には、製造工程の途中で割れた物や形が悪い商品などを格安で販売する直売所がある。ここでは地域で採れた農産物や加工品も販売し、地域の生産者と消費者を繋ぐ場にもなっている。岩塚製菓の正社員率はほぼ100%。社員は皆「岩塚製菓のお菓子が子供の頃から好きで育った」と口を揃え、親子で入社する社員も多い。地域の人たちを社員として受け入れるのは創業期から続いている。1947年、岩塚村(現・長岡市)は冬になると雪で身動きがとれないため大半の家庭の父親は出稼ぎに行き生活を支えていた。創業者・平石金次郎と槇計作は、家族が離れ離れにならないよう地元に産業を生み出そうと「岩塚製菓」を作った。その計作の息子、現社長の春夫は1976年に岩塚製菓に入社。既存の煎餅の味にとらわれず、「甘じょっぱい味」の米菓などを開発しヒットさせる。しかし2004年、中越地震が新潟全域を襲い、岩塚製菓の工場は倒壊。製造機能を失い、倒産が目前に迫った。しかし社員たちの踏ん張りと地域の人たちの協力で、奇跡的な復興を果たす。その震災の経験から、困っている人たちを助けようという考えが社内に浸透し、2011年の東日本大震災では、大被害を被った福島県南相馬市に社員たちが軽トラックで訪問。全ての小学校を周り「出来立てのおせんべい」を子供たちに振る舞った。
米菓の可能性に挑戦!これまでにない新たなおせんべいを!
近年、米菓離れが進む中、岩塚製菓では新たな米菓を生み出そうと、「BEIKA Lab」なる研究施設を2020年建設。日本の伝統菓子を絶やさないよう「グミ食感のおかき」や見た目も映える「イチゴ味のあられ」。さらには、イタリアンのお煎餅も開発。その監修を務めたのが、日本イタリア料理界の先駆者・落合務。果たしてどんなものが仕上がったのか!?
ゲストプロフィール
槇 春夫
- 1951年5月26日 新潟県長岡市生まれ
- 1974年富山大学卒業後、ダイエーに就職
- 1976年岩塚製菓株式会社 入社
- 1998年岩塚製菓株式会社 社長就任
企業プロフィール
- ■住所:新潟県長岡市飯塚2958番地
- ■創業:1947年
- ■売上高:180億円
- ■従業員:938名

新潟県長岡市には、かつて岩塚村と呼ばれる小さな村があった。豪雪地帯だった村は貧しく、一家の大黒柱は出稼ぎに行った。創業者は「出稼ぎに行かなくても皆が暮らしていける地域に」という夢を。あるとき、地元で穫れる米を使った菓子作りをすることに。「農作物の加工品は原料より良いものはできない」という信念のもと、米菓を作り続ける。選び抜いた米だけを使用し、米の風味が豊かな原料をつかった製品。「だから儲かりません」と槇さんは苦笑する。儲からなくても、岩塚の米菓は光り輝く。