勝村コラム
2019年1月27日(日) 通念を凌駕する通念
これは2002年に夭折した、ナンシー関さんのコラムにあった言葉である。あまりにインパクトがあったので、今でも忘れることなく使わせていただいている。ナンシーさんの不在は、すべての業界に痛手であり、その穴は埋めることはできない。私は蜷川幸雄さんの劇団で芝居を始めて、第三舞台という劇団に移った。
蜷川さんの劇団では、新劇、一昔前の(悪い意味ではない)小劇場、アングラ系メソッドが入り混じり、他にはない劇的な芝居を求められた。第三舞台はすごい人気劇団だった。数多くの俳優を輩出した、早稲田の演劇研究会からの枝分かれで、日本の劇団では信じられないくらいの観客動員を誇る劇団だった。
当時の劇団では、夢の遊眠社の観客動員が一番で、第三舞台が二番手だった。
早稲田の演劇メソッドを引き継ぎ、独自に進化させ、悲劇を喜劇的台詞回しでカーブをかけ、先鋭的なトレンドを先取りし、遊戯性を前面に出したエンターテイメント要素の強いメソッドだった。当時の著名人もこぞって観に来ていた。マシンガンのような台詞の速さ(当時劇評で書かれていた)と、身体を駆使したメソッド。ダンスもあり、衣装のスーツの色が変わるほど汗をかく。
それも人気の一つだった。
とにかく新しい動きを見つけるために、死ぬほどエチュードをさせられた。運動部のような訓練を毎日続けた。死ぬんじゃないかと思うこともあった。精神的にも追い詰められて、身体的な発散がなければ、圧倒的な人数のお客様の支えがなければ、みんな精神をやられていたであろうほど、きつい稽古だった。
蜷川さんの劇団でも、第三舞台でも、この番組でよく口にする、「理不尽」という言葉がぴったりなメソッドだった(笑)。第三舞台のメソッドは、とにかく身体を動かす。新しい動きを見つけようとして。人を指差したり、腕を組んだり、頭を抱えたりする、所謂、誰でもやっている動きは、最初に誰がやったのか?不思議でしょ?
世界中で、同じ動きをする。同時多発なのか?しかし、最初に誰かがやっているのだ。それを他者が模倣して、市民権を取得し、歴史になる。
「感情と身体」所謂、「メンタルとフィジカル」の相関的な相性が合致し、一つの身体的表現として成立した。普遍性を獲得したのだ。それが、人間の行う身体の動き、表現である。それは、動物にも同じことが言える。動物も、何か同じ動きをする。
誰が教えたのか?
遺伝子に組み込まれているのか?
人間と動物も同じような仕草をすることもある。ゴリラみたいだとか、小動物みたいだとか。よく聞くでしょ?
ニューヨークのアクターズスタジオのメソッドにも、動物の動きや表情を研究して、身体的表現に還元するものがある。ゴッドファーザーのマーロン・ブランドの演技にもそのメソッドが使われている。今では、人の目を見ずに話したり、首を触りながら台詞を言うなどは当たり前の表現だが、当時の、やはりアクターズスタジオ出身の、ジェームス・ディーンが最初に表現した動きで、当時の世界中の俳優たちが驚いたと先輩から聞いたことがある。
それは、癖だったのかもしれないし、思考を重ね、新しい動きを見つけようとして作り出された、新しい表現だったのかもしれない。今となってはわからない。わからないことは素敵だ。今の時代のなんでもスケルトンにしてしまう、色っぽくない、想像力を停止させてしまうことは演劇的ではない。わからないことが、魅力なのだ。
想像力を働かせて働かせて、考える。夢想する。みんなが同じことしかできなくなってしまう危険性を、回避する手段になる。
夢想。その大切な夢想の先に、通念が出来る。それが、パフォーマンスの原点なのだ。
サッカーのフェイント。
代表的なのが、セルジオ越後さんが開発した「エラシコ」今では、世界中の子供たちも普通に使っている。セルジオさんの夢想と技術と鍛錬が型になったのが「エラシコ」。セルジオさんのフェイントがサッカー界で通念になったのだ。前世紀、今世紀のサッカー界最大の発見、開発の一つと言っても過言ではない。
それこそ、私たちが死にそうな思いで稽古を重ねた、新しい表現の結実である。
新しい通念を作ることと、同じことである。そして、サッカーの一番の目的であり、醍醐味でもある、得点。勝利に近づく、最終地点。この得点を挙げた喜びを、得点を挙げた選手は、感情を爆発させ、それぞれの表現に還元させる。
大きな声で叫ぶ。
走り回る。
手を挙げる。
ジャンプする。
抱き合う。
観客と分かち合う。
ユニフォームを脱ぐ。
芝生の上を滑る。
十字をきる。
天を指差す。
地面にキスをする。
これらは、どこの国でも目にする、昔から観る得点後の感情表現である。感情と身体が連動した、観ていても選手たちと感情を共有できる、スタジアムが一つになれる劇的な瞬間である。これを観たくて、スタジアムに足を運ぶのだ。私たち役者も、この劇的だったり、小さな日常の感情表現を生み出すためのメソッドを研究し続けている。
そして、前記したような、通念となった身体的表現を凌駕する、新しい通念になるような身体的表現を探求していく。
今回は、感動を科学する研究家の押見さんに来ていただいた。私たちがゴールパフォーマンスを意識したのは、やはり、ブラジル代表のサッカーの神様、キング・ペレだと思う。
右手を挙げて走る。右手を挙げて、ジャンプして手を振る。
これが代表的なゴールパフォーマンスだった。信じられないゴールを連発するたびに、ペレのゴールパフォーマンスは、楽しみの一つだった。マンチェスターUの王様、エリック・カントナの王様パフォーマンスも忘れられない。チームの顔になった、ウェイン・ルーニーが真似をしたくらいだ。
アメリカ大会の、ベベットの赤ちゃんパフォーマンスも、市民権を得た。あの大きな大会で、ゴールを決めた後に、あんなパフォーマンスは衝撃的だった。赤ちゃんが誕生したという意味は、もちろん後からわかったのだが、よくわからないけど、すぐにロマーリオたちも駆けつけて、同じパフォーマンスを披露した。約束していたのか、瞬間的なアイデアかは知る由もないが(笑)。
私たちは、今後もこのゴールパフォーマンスを観たくてスタジアムに足を運ぶ。スタジアムを一つにする、最高の瞬間のために。新しい表現は、常に生まれては消えていく。そして、シンプルな表現が市民権を得て、時代を生き抜いていく。映画のワンシーンのように。
優れた表現は、感情と共にある。感情。英語に訳す単語が難しいと押見さんは言っていた。それはそうだろうと思う。感情は言葉ではないのだから。生き物にしかわからない、この不可思議な衝動。押見さんには申し訳ないが、科学で証明するのは困難きわまりない。何故なら、数値化するときにも、感情が邪魔するからである。
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