勝村コラム

2018年10月28日(日) 愛と努力

日本でセカンドキャリアという言葉が出始めたのは、何年くらい前なんだろ?

日本では、セカンドって言う言葉は、あまり歓迎されてはいなかった。基本的にスポーツ選手を対象にした言葉だった。でも、人気があり、お金を稼ぐスポーツは限られていた。

野球、相撲、柔道、、、

サッカーは企業が持っているクラブで、基本的にアマチュアの基本的にサラリーマン。基本的にサラリーマンに戻るだけである。プロになってから、怪我や戦力外でサッカーがやれなくなった時に、まったくの無職になってしまうという現実に直面した。

そこからサッカーのセカンドキャリアが始まったと言ってもいい。みんな心配するのは、サッカーばかりやっていたから、潰しがきかない。子供の頃から、エリートだったので、プライドが高く、傷つくことばかりで、仕事が続かない、、、

悲しい、ネガティブなことばかりが前面に出てきてしまう。もちろん別の仕事につき、成功している選手もたくさんいる。これが、日本の基本的なセカンドキャリア。だと思っていた。

数年前に、本田圭佑選手が、オーストリアのホルンというチームのオーナーになった。番組でも、取材させていただいた。その時に、何気なくセカンドキャリアの話になった。本田圭佑選手がとても興味を持った目をしたので、今までのこの番組でも取り上げてきた、セカンドキャリアのことを話した。

すると目の輝きが薄くなったのを感じた。そう、本田圭佑選手の考えるセカンドキャリアと、僕の話したセカンドキャリアが、あまりにもかけ離れていたからだった。本田圭佑選手は、成功した選手である。キャリアを積み、セリアAのACミランの10番まで背負った選手である。

本田圭佑選手は、その成功し続けている選手の、セカンドキャリアを考えていたのだった。オーストリア3部のホルンのオーナーになったのも、オーストリアは、トップの2.3チーム以外は、それほどレベルの高いリーグではないので様々な国のリーグで経験したメソッドを駆使すれば、3部のチームをチャンピオンズリーグ圏内に進めることができる可能性がある。

チャンピオンズリーグに出場し、勝利を収められれば、相当な収入になる。いい選手は、高い移籍金を生み、若手選手を世界から呼び、若手選手を育成させる。育成した選手が成長し、チームに貢献できれば、リーグで勝利し、チャンピオンズリーグに出場して、チャンピオンズリーグで勝利する。

最高の無限連鎖が始まる。

他にも、カンボジアの代表監督に就任した。監督就任の理由を語ってくれた。

「一つは、カンボジアのサッカー連盟、各チーム、育成年代のすべてが同じサッカースタイルをつくること。つまり、カンボジアのサッカースタイルを確立すること。もう一つは、サッカーを強くするだけではく、カンボジアの素晴らしいところを世界に伝えていくこと」

その他にも、いろいろあるだろうけど、セカンドキャリアのラッシュである。Jリーグの輝かしい歴史が、こんなセカンドキャリアをも生み出し始めたのだ。岡崎慎司選手も、2014年8月14日、ドイツ11部リーグに「FC BASARA MAINZ」を設立し、スーパーアドバイザーに就任した。

海外で成功した選手は、自己資金を様々な場所に投資して、さらなる成功を生む。プロ第一号の奥寺さんも、みなさまご承知の通り。中田英寿さんも、サッカーには直接関わってはいないが、経験をいろいろな行動に還元している。

もちろん全ての成功した選手が全て成功しているわけではないが、セカンドキャリアの幅が、大幅に広がっていることは明らかである。そして、今回のブレイン、元ガンバ大阪の嵜本晋輔さん。

お父さんの会社を引き継ぎ、株式会社SOUを設立させ、一部上場まで上り詰めた。戦力外通告を受けた男が、別のピッチで、スター選手に生まれ変わった。そして進化し続ける。

何が成功するのか、誰にもわからない。好きなことを、生涯続けることは難しい。僕ら役者の世界でも、若い頃誰よりも能力の高い役者が、続けられなかったり、下手だった役者が、年月をかけて味が出て、素晴らしい役者になったりする。もちろん逆のこともある。

そこに、なんの差があるのだろうか?

神様にしかわからないのかもしれない。でも、成功する者の最小公倍数は、愛と努力である。一番恥ずかしい言葉かもしれない。

愛と努力

嵜本さんの話には、愛と努力しかなかった。驚くのは、嵜本さんには、その恥ずかしさが一切ない。戦力外を前向きに受け止めて、愛と努力を前向きに受け止める。すべては、観客のため、サポーターのためなのだ。

このサッカーの神様から見捨てられた男が、サッカーの神様に怒りを抱くどころか、さらに愛し、さらに努力を重ね、サッカーの神様に感謝さえして、大成功を収めたにもかかわらず、まだ奉仕しようとしている。

セカンドキャリアに一番大切な物を、嵜本晋輔さんが示してくれたのだ。

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